吾人、ついに“時計”という底なし沼に片足を突っ込んでしまった。
スマホで時間は足りている。いや、足りすぎてる。秒単位で正確に、世界中の時刻すら手のひらで見れる時代。
だがある日、営業先で出会ったベテラン上司が、商談終わりにチラリと袖をまくった瞬間、目に飛び込んできたのがロレックスのサブマリーナだった。
……なぜか、ぐぅの音も出なかった。
「この人、ちゃんとしてるな」
それだけ。たったそれだけなのに、吾人の心に火がついた。
そして、調べれば調べるほど出てくる、“ロレックスか?グランドセイコーか?”という二大勢力。
吾人、混乱す。
吾人の頭を悩ませる二大神話「ロレックス」と「グランドセイコー」
まずロレックス。知らぬ者はおらぬ。 芸能人、経営者、SNSの“キラキラ系”まで、みんな腕に光るあの存在感。
- ステータスの象徴
- 値上がりする資産
- 丈夫で一生モノ
など、良い話がこれでもかと並んでおる。
一方でグランドセイコー。
- 日本製の精密さ
- 職人の技術
- 控えめで実直、でも超絶技巧
まるで「ロレックスが陽なら、グランドセイコーは陰」。 この対比、たまらんのだ。
吾人、すっかり両者に翻弄される。
ブランドイメージで迷走する吾人
まずは世間の“印象”というやつを整理しよう。
比較軸 | ロレックス | グランドセイコー |
---|---|---|
知名度 | 世界的モンスター | 日本で最強クラス |
所有満足度 | 「見せたい」 | 「語りたい」 |
ステータス性 | 高い(わかりやすい) | じわじわ来る(渋い) |
資産性 | 激強(売れる) | まあまあ安定(売る人少ない) |
着ける人 | 成功者・経営者 | 職人・渋め会社員 |
この時点で吾人、脳内がカオス。
ロレックスは「見せたい時計」 グランドセイコーは「語りたい時計」
時計って、こんなに性格出るのか!?
吾人、スペックに手を出す(が混乱)
よし、もっと冷静に“性能”で比べてみよう。
ロレックスの強み:
- 高精度のクロノメーター認定
- 100m〜300mの本格防水
- 独自の堅牢ムーブメント(Cal.3235など)
- リセール最強
グランドセイコーの強み:
- スプリングドライブ(クォーツ×機械式の奇跡)
- 平均日差±1秒という神業精度
- ザラツ研磨のケース仕上げ(職人技術の結晶)
- 秒針のスーッと動く滑らかさ
……吾人、どちらも良すぎて詰む。
性能的には引き分け。デザインは完全に好み。 だが、「この時計、誰に語りたいか?」が違う。
ロレックス:周囲に見せたくなる。背筋が伸びる。 グランドセイコー:誰にも気づかれなくても、自分だけで誇れる。
時計に求めるのは“視線”か“信念”か
気づいた。 これはもう「どっちが上か」ではない。
“自分はどっちを求めてるのか”
- 他人の目にどう映るかを重視するなら、ロレックス。
- 静かに内面と対話したいなら、グランドセイコー。
つまり時計とは、“自分の見せたい自分”を投影するツールだったのだ。
ここで吾人、混乱からひとつ抜けた気がした。
次はいよいよ、どちらを選ぶべきか? 吾人が最終的に見つけた“自分らしい答え”を、語ろう。
そして吾人、深夜2時のキッチンテーブルでコーヒー片手に自問自答していた。
「で、結局どっちなんだよ、吾人……」
スマホには無数のレビュー動画、比較記事、掲示板の熱い議論。 カートにはロレックスのエクスプローラーIと、グランドセイコーのSBGA211『雪白』。
いっそどっちも買ってしまえば——
そんな危険思想を打ち消しつつ、最終的に出した結論はこうだ。
ロレックスは「社会と繋がる名刺」だった
まずロレックス。 確かにすごい。見た目のインパクト、ケースの厚み、ずしりとした重量感。
何より、腕に巻いたときの「俺、ちゃんとしてる感」が半端じゃない。
- 初対面の商談相手が一瞬だけ見る視線
- レストランでのグラス越しのちらり
- SNSの時計アカウントの盛り上がり
全部、「ロレックス」なら“刺さる”。
吾人がもし、自分を“戦える男”として見せたいなら、それはロレックスだった。
ただし、それは「外向きの自信」をくれる時計。 どこか、自分を奮い立たせる“鎧”みたいな存在だと思った。
グランドセイコーは「静かな誇り」だった
一方でグランドセイコー。 派手さはない。というか、ほとんどの人がスルーする。
でもその“わかる人だけわかる”ディテールに、吾人はしびれた。
- 雪白ダイヤルの繊細な凹凸
- 文字盤の光の反射が“霜柱”みたいに美しい
- スプリングドライブの秒針が、止まらずスーッと進む奇跡
これはもう、腕時計というより「時間を愛でる道具」だった。
人に見せるためじゃない。 “静かに満ちていく自己肯定感”がそこにある。
最終的に選んだのは……
吾人、ロレックスをやめて、グランドセイコーを選んだ。
なぜか。
それは、この時計を「見てほしい人」が誰なのか考えたから。
ロレックスは、他人に見せて「すげえ」と思われる時計。 グランドセイコーは、自分が「いいなあ」と思い続けられる時計。
吾人の人生、他人の目線に振り回されてきた時間は長かった。 でもこの一本は、自分のためだけに選びたかった。
吾人、時計を語る
時計って不思議だ。 時間を見るだけなら、安価なデジタルウォッチでも十分に事足りる。
でもなぜ吾人は、給料2ヶ月分を握りしめて高級時計を買おうとするのか。
それはたぶん、「過去の努力」と「これからの覚悟」を、 腕に巻いて確かめたいからなんだと思う。
時計は時を刻む。 でも、その“刻んでる時間”が自分にとってどう意味を持つかが大事なんだ。
まとめ:時計は「道具」じゃない、「対話」だ
ロレックスとグランドセイコー。 どっちも最高だ。 どっちを選んでも後悔しない。
でも、もし今、この記事を読んでいる同志がいるなら伝えたい。
時計は「何が優れているか」じゃなく、 「どんな自分になりたいか」で選ぶものだ。
そして、どんな時計を選んでも—— 選んだその瞬間から、お前が“似合う男”になるんだ。
吾人、そう信じて、雪白を巻いた。
今も静かに、時を刻んでくれている。