吾輩、ノーチラスに吸い込まれたり──中古時計の迷宮に立ち尽くした話

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ラグジュアリーライフ

吾輩は時計である。いや、時計を見ては心乱される生き物である。
もともとはスマホで時間が分かればいい人間だった。だがある日、雑誌の1ページがすべてを変えてしまった。

それは、ある高級時計の広告だった。
“所有するのではない、次の世代へ受け継ぐために身につける”──

どこかで聞いたことのあるそのフレーズに、何とも言えない鳥肌が立った。

パテックフィリップ。

名前は知っていた。高級時計の中の高級時計。
だが、“知っている”と“心が動く”のあいだには、深い溝がある。

この日を境に、吾輩は沼の入り口に立った。

ノーチラス、という響きに心が疼いた

パテックフィリップのラインナップを調べていくうちに、ひときわ目を引いたモデルがあった。
ノーチラス。

その造形は、奇をてらっていないのに独特だった。
ラウンドでもスクエアでもない、あの八角形。
筋の通ったデザイン。

だが無骨ではなく、どこか知性と気品がある。まるでスーツの似合う体育会系弁護士のような雰囲気を持っていた。

「これは…一度でいいから、手にしてみたい。」

そう思ったのが、迷宮……いや、“夢沼”の始まりだった。

新品はムリ。中古で探そうという地に足ついた判断(のはずだった)

パテックフィリップの新品は、正規店での入手すら困難。
しかもノーチラスともなれば、「抽選」「紹介制」「超常連限定」などのワードがネットを飛び交っていた。

つまり、一般庶民が正規店で買える可能性は、マンボウが川で泳ぐレベルで低い

そこで思いついたのが、「中古」だった。
中古なら、まだ現実的かもしれない。
過去の型番を調べ、レビューを読み、画像を漁る。

気づけば、「ノーチラス 中古 値段ってどのくらい?」みたいな検索履歴がズラリと並んでいた。

いざ中古ショップへ──知識ゼロの冷やかし潜入レポート

意を決して、都内の某有名中古高級時計店へ足を踏み入れた。
スーツを着たのはその日のためだ。少しでも“買う気のある風”を装いたかった。

店員に話しかけられる前に、ショーケースに目をやった。
そこにあった。ノーチラス、5711/1A。

…価格は書いてなかった。代わりに小さく「Ask」とあった。
これはつまり、“おまえの覚悟を見せてみろ”ということだろう。
まさに静かなる圧力。ノーチラスは、見下してこそいないが、試されている気がした。

モデル違いの世界──同じノーチラス、でもまるで別物

店員がそっと説明してくれた。
「こちらは5711。こちらは5726。こっちは5980。見た目は似てますが、仕様がまったく違います。」

なるほど…うん、ちょっと待って。
その説明、脳が理解する前に耳が拒否反応を起こしてる。

秒針の位置が違う。日付の出方が違う。パワーリザーブがどうとか…。
わかったような顔をして聞きながら、内心では「もはやこれは時計というより“文化”だな」と静かに納得していた。

そして訪れる、“金額の壁”

ついに価格を聞いた。

詳細な数字は控えるが、普通に車が買える。
いや、下手したら車とバイクと冷蔵庫と洗濯機を同時に買える。
……吾輩の人生で、そんな買い物は一度もしたことがない。

「……ご検討くださいね」
店員の柔らかな笑顔にが、なぜか背中にじんわり効いた。

けれど、店を出る前に、ふと足が止まった。
ショーケースの奥で、ノーチラスがじっとこちらを見ていた。

 試着、それは“時間と向き合う”儀式だった

中古ショップの店員さんが、そっと言った。

「ご試着、されますか?」

「いえ、今日はちょっと…」と断る予定だった。
でも、口が勝手にこう言った。

「お願いします。」

気づけば、吾輩の左手首にノーチラスが乗っていた。
冷たいステンレスの感触。だけど、重くはない。むしろ心地いい。

まるで「ここが私の居場所」と言わんばかりのフィット感だった。

秒針が静かに進む。
たったそれだけのことなのに、時間がいつもより丁寧に流れている気がした。

買っていないのに、もう“所有体験”が始まってしまった

試着時間はほんの2〜3分だったはず。
でも、頭の中では何十回も“買った後の自分”をシミュレーションしていた。

スーツに合わせた自分。
カフェでノーチラスの文字盤をチラ見する自分。
エレベーターの鏡でさりげなく確認する自分。

いずれも現実ではなく、想像でしかないのに、なぜか「もう似合ってる気がする」のが少し可笑しかった。

そして、検索スパイラルが始まった

帰宅後、すぐに検索が始まる。

  • 「ノーチラス 中古 おすすめ」

  • 「ノーチラス 5711って今どれくらい人気?」なんて、自分でも笑うようなワードを検索していた。

  • 「ノーチラス なぜ高い」

  • 「ノーチラスって、昔と比べてどれくらい高くなってんの?」みたいなワードを延々検索していた。

  • 「腕時計 購入理由 正当化 方法」

気づけば、Chromeのタブが15個以上開いていた。

もちろん、買うつもりはなかった。
あの価格は、自分の今の生活において現実的じゃない。
それは理屈では理解していた。

……けれど、“欲しい”という気持ちは、理屈では止まらない。

ノーチラスが問いかけてきた「自分、どう生きたい?」

ノーチラスという時計には、不思議な“気配”がある。
それは「持つ者にふさわしいか」を、静かに問いかけてくる。
無言で、でも確実に、こう語りかけてくる。

「君は、この“時”を任せられる人間か?」

それは、ただの物欲を超えた体験だった。
“この時計を手に入れる人間”になるために、
もっと働くか。背筋を伸ばすか。生き方を変えるか。

そんなことを真剣に考えていた。
もはやノーチラスは、人生そのものを問う存在になっていた。

そして、買わなかった。でも──

結論から言えば、吾輩はノーチラスを買っていない。
財布は、今も静かに眠っている。

でも──心は確実に、あの瞬間から変わっている。

時計を持っていないのに、時計に人生を揺さぶられる。
そんなことがあるなんて、知らなかった。

ノーチラスは、“買うかどうか”の話ではないのだ。
“向き合うかどうか”の話なのだ。

そして、これからの話

たぶん、またショップに行くだろう。
そしてまた、ショーケースの前で立ち止まる。
心の中で、“今の自分”と“いつかの自分”を見比べる。

あの時計を身につける自分に、まだなれていない。
だけど、なりたいと思った。

ノーチラスは、そんなふうに“未来の自分”を想像させる時計だ。

まとめ:ノーチラスと“現実”を見つめ合って得たこと

  • ✅ 価格を見て怯んだ自分

  • ✅ それでも目をそらせなかったデザイン

  • ✅ 試着で知った“時間を持つ”という感覚

  • ✅ 検索履歴がすべて時計で埋まる現象

  • ✅ 持たなくても、“向き合う”だけで人は変われると知った

最後に:ノーチラスは、買わずとも心に残る

世の中には「買った時計」と「買えなかった時計」がある。
でも、“自分を変えた時計”というカテゴリーも、確かに存在する。

パテックフィリップ ノーチラス。
それは、吾輩にとってただの高級時計ではなかった。
時間と向き合うきっかけであり、未来を考えるきっかけだった。

いつかあの時計を手にできる日が来たら──
きっと吾輩は、今よりもほんの少しマシな人間になっている。
そんな希望を、ノーチラスはくれた。

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